久しぶりに活字で本を読んだ。百年の孤独。 きっかけは「上伊那ぼたん。酔へる姿は百合の花」にて、焼酎が紹介されたこと。
Audibleで本を読む?ことが最近増えてきたとはいえ、600ページもある本を読むというのは懐かしく、しかし楽しいものだった。ここではその感想と読んで浮かんだ思いを取り留めもなく書いていく。
※ここから百年の孤独のネタバレを大いに含みます。
この本は1800~1900年くらいの南アメリカをベースとして、マコンドという土地で100年にわたって生きていたブエンディア一族にフォーカスした物語だ。 全体を通してなんらかの目的があるわけでもなく、淡々と出来事が起きていくという大河的な物語構成になっている。
特徴的なのは、フィクションとはいえ現実的な物語を展開していくと思いきや、時折突拍子もない展開が起こることだ。どうもこれはマジックリアリズムという手法らしいのだが、それはそれとして馴染みがなかったので楽しく読むことができた。
話の流れを簡潔に紹介すると、ホセ・アルカディオ・ブエンディアとウルスラ・イグアランが(同時に入植した仲間はいたが)マコンドを開拓し、牧歌的な村から近代化の波を受けて繁栄しつつ、戦争や国際化による外部からの干渉を受けて最終的には衰退していく物語だ。
本の題名にもなっている通り、思い返せばこの物語は孤独が、明記されていたり強調されたりはしていないものの、そこはかとなく感じ取ることができる。この孤独というのは単にひとりぼっちであるというものではなく、どことなく人と理解し合うことができない、寄り添いあって生きていくことができないという形式で現れる。
彼はまだ開拓したばかりのマコンドで、旅の行商人の不思議な品物に魅入られてその世界に没頭していく。しかし、妻であるウルスラの理解は得られず、何を為すでもなく自分の世界にこもっていく。彼の工房は子孫にも使われるが、最後は手に負えられず栗の木に縛られて老年を過ごす。こういった道楽への没頭を除けば、村を開拓して、その長として生きてきたリーダー的な存在ではあったのに、いつからか外部からやってきた人間が町長を名乗り、ただの不思議なものに没頭する人になっていってしまったのは寂しさを感じた。
ホセ・アルカディオ・ブエンディアの息子であるアウレリャノ・ブエンディアはこの物語を象徴する人物だ。美人なレメディオスと結婚したがトラブルで死別、その後は自由派と民主派の闘争に明け暮れていく。 彼の孤独はわかりやすい。当初は自由派の理想を叶えるためという目的のために色んな人と共に数十年の単位で戦っていた。しかし、長い戦いの間に自分がなんのために戦っているのかわからなくなり、最後には自分のプライドのために戦うようになっていた。そもそも、対外的には一度戦争は終結したというのに、大佐は戦争を続けることを選んだ。意地だ。 ヘリネルドマルケスという、一番の戦友というべき人物に対しても、自分の本心を打ち明けることもなく、最後には意思決定に対して軽蔑を向けられながら戦争を終了し、理想を完全に諦めた。 そのあとは国から栄誉を与えられても全く満たされることもなく、死んでいるみたいに生きている余生を過ごして、静かに死んでいった。
この本は彼の回想の想像で始まる。死の淵に立った時に子供の頃の、父親に連れられて旅の行商人が陳列する不思議なものを体験するという描写だが、戦争に明け暮れたことではなく幼年期の思い出を想起する、という部分に彼の孤独を感じてしまう。
アウレリャノ大佐の兄であるホセ・アルカディオは、本人は幸せそうには見えるものの読者からするとなんとも寂しい人間であった。 若年期に、いきなり旅の行商人の一行にいた幼い少女と一夜を過ごし、そのままその一行に加わってマコンドを離れた。 そしていろんな国を、場所を旅してきた彼は十数年くらい?立った後にいきなり帰ってきた。体の成長具合から色んなことがあったのだろうと想像はつくのだが、まるで別人というように描写されていた。そして帰ってきて、そこから旅の経験を活かすでもなく、鍛えられた大きな体を生かすでもなく、自堕落に生きるようになった。
そんな変化をしたもんだから、ブエンディア家に帰ってきたというのに全く馴染むことができず、レベーカという、これまた流れ着いたブエンディア家とは関係のない女性と結婚し、離れた家に住むようになったが、事故なのか他殺なのかわからないが銃で死んだ。
旅に生きるわけでもなく、帰ってきて家族と共に寄り添いあって生きていくわけでもなく、最後まで何を考えているかわからない人間として死んでいった、孤独。
彼女は正直何を考えているかわからない。レベーカと男を取り合って、一方的に恨みを募らせたかと思いきや、とある重大な事件の後は自分への罰とでもいうように誰とも結婚せずに死んでいった。
強情的に自分で孤独を選び、それを突き通して死んでいった。
個人的にはアルカディオが一番悲劇的な人物だったと思う。 ピラル・テルネラとホセ・アルカディオとの間にできたこの子供は、父親が早々にマコンドからいなくなり、自分がどういう出生なのかを十分に理解しないまま成長してしまった。
そんな生い立ちだからか、いわば「グレた」ように青年期を過ごし、問題を起こしていた。そして、紛れもなくブエンディア家の人間であるのに、自分がブエンディアの血を引いていないと思い込み、暴走して戦争で混乱にあったマコンドで独裁を敷いて最後は処刑されてしまった。
父とは違い、ブエンディア家には受け入れられたし、帰る場所もあったのに、それはないと思い込んで死んでしまった。満たされているはずなのに、それを感じることができない孤独。
正直あまり印象がない。アマランタ一筋すぎて、他に色んな選択肢があったことに気づけずに死んでしまった。一人を愛してしまったが故の孤独。
彼は他の人物とは毛色が異なる。青年期まではかなり順風満帆、幸せに生きていたとは思う。しかし、バナナ大虐殺をもとにした事件として、マコンドで虐殺が起きてからガラッと変わってしまった。
端的にいうと陰謀論的なのだが、政府が行なった虐殺をもみ消したことで、真実を知っているのは彼だけになってしまった。そこからは、その真実を信じてもらえる人がおらず、周りからは変な人だと思われるという境遇になり、一人でその事実を、犠牲になった人を偲ばなければならなくなる、という孤独。
内面から来るものではなく、社会的に作り出された孤独に苦しんだ人物だった。
彼は結婚もしたし、子供も生まれた。側から見ると非常に成功した人物なはずだった。 しかし、フェルナンダという妻との関係が壊滅的にうまくいっていなかった。家庭を持ったはずなのに、その家庭の中で生きていけず、家の外に居場所を求めてしまうという孤独。
正直、この物語において、表面的には一族衰退の直接的な原因と言えてしまうとは思う。 高慢な態度、思想、マコンドという街の文化に対する致命的なほどのミスマッチ。
しかし、彼女は西欧的な文化をこの街に入れようとしていた。格式であったり、マナー、それまで性に奔放すぎたブエンディア家がこれからも続いていくにはどこかで必要な革命だった。
しかし、タイミングが悪すぎたし、あまりにも非力だった。 急進的すぎる文化の導入は、彼女のわがままであるように感じられたし、実際ブエンディア家の歓迎を受けることはできていなかった。
そして、最終的にこの一族の、さらに言えばこの物語の終わりを象徴する、豚のしっぽが生まれる遠因となっている。文化的な孤独と言えるが、寄り添いあって生きていけないという、まさしくこの一族を表す、というか相応しい人物だった。
他にも色々と人物がいるが、この人物で最後にする。 ウルスラは、ブエンディア家の生き字引と言える存在で、一族を支えていた人物だった。 彼女だけが面倒見がよく、まともで、一族の繁栄に奮闘していたと思う。
しかし、並び立つものはいなかった。一族のためにあれこれ手を打っていたが、肝心の男たちは協力をせず、彼女の辛さ、大変さ、そういったものに寄り添う人物が全くいなかった。
一族の長?としての孤独が彼女にはあったと思う。しかし、彼女が亡くなってから一気にブエンディア家が滅びへと向かっていく様は、非常に哀愁漂うものだった。
最後に、豚のしっぽについて書く。これは、物語序盤から伏線として張られており、ウルスラがずっと恐れていたことが起こってしまったということが、そのまま終わりを連想させるものとなり、実際に一族も物語も終わる。
しかし、呪いとしてあったとか、これが決定的な出来事として一族が終焉を迎えたわけではなく、滅びや終焉の象徴として豚のしっぽがあったという印象である。
実際、豚のしっぽを持って生まれてしまったアウレリャノは、この物語では初めて本当に愛し合っていた二人の間に生まれたものだった。生みの親であるアマランタ・ウルスラは明るい人物で、衰退したマコンドを復興させることを目標としていた。
だから、これから豚のしっぽを育てていくのかと思いきやそうはならなかった。
誕生から一気に物語は終了に向かう。さまざまな孤独を繰り返してきた一族が、豚のしっぽが生まれる原因となる近親相姦の危機を何度か回避しつつも、最終的には起こってしまって歴史を繰り返す、孤独から抜け出すことができないということを決定づけて終わるのだ。
この物語にはさまざまな孤独が出てくるように思える。 そしてそれは、現代社会の、人で溢れている日常生活の中で感じる寂しさや孤独に通底するものがある。これらはただの他人事ではない、というところに恐ろしさを感じるところではある。
ピラル・テルネラはバケモン